大学の仲間とともに、地元の人々が交流できる場としてカフェをオープンさせた黒沢さん。若き経営者のビジョンをたっぷりとお伺いしました。
新潟から山梨へIターン。この地で開業した理由とは?
――新潟県ご出身の黒沢さんがなぜ、山梨県都留市へIターンをされたのでしょう?
僕は都留文科大学の卒業生なのですが、在学中、地元の方の家に居候をしていたんです。その縁で地域のみなさんによくしてもらい、住民同士のつながりの強さが見えてきて、この街が大好きになりました。それで何かの形でお世話になった都留のみなさんに恩返しをしたかったんです。同時に県外から都留市に引っ越してきた学生たちと地元の人々が交流できる場所を作ろうと思い立ったことも大きかったですね。都留市の人口3万人の10%が都留文科大学の学生なんですよ。

――それで、カフェの経営を始めたのですね。
最初につながりの場所を提供する、人と人の思いをつなげたい、というコンセプトを掲げました。その目的を達成したいと考えたときに、カフェという業態はやりたいことに一致したんです。僕もカフェが好きでコミュニティ・カフェを研究していたこともありましたし、猫カフェなど〇〇カフェがたくさんあり、カフェ文化が多様なのも日本ならではですよね。そういった意味でも、カフェという場が果たす役割は大きいと考えています。
5人の友人とキッチンカーで移動販売をスタートさせたことがすべてのはじまり。
――黒沢さんは、大学を卒業したばかりと伺いましたが、資金など開業準備はどのように進めたのですか?
バイトをひたすらやって貯めました(笑)。学生なので借入れもできないし、すべて自己資金です。そもそも大掛かりな店をやる資金もないしノウハウもなかった。店舗を構えたところで家賃を払い続ける自信もなかったので、最初は同じ志を持った友人ら5人と家賃などの固定経費がかからないキッチンカーを購入して、ホットサンドやドリンクを提供する移動販売からスタートしました。しばらくして、ある物件が取り壊されるということを知り、譲り受けたのが今の店舗です。家賃は発生していますが、物件にかかる初期費用を無料にしてくれたんです
――聞けば、内装工事も中の棚などもすべて自分たちで手掛けたとか?
以前は洋食屋だった居抜き物件です。中に残っていた食器やグラスなども譲ってくれたんです。その代わり、長らく放置されていた店舗だったので、「きちんと掃除をして責任持ってやってくれ」と言われました。まずは壁を磨くところから始め、仲間と一緒に毎日のように掃除をしていたんですが、自然発生的に地域の人や市役所の人、通りすがりの人も手伝ってくれるようになったんです。結果50人ほどの協力を得られて、3ヵ月かけて店舗をピカピカに仕上げたんですよ。その後は廃材を使って棚を作るなどして店を作り上げました。
ズバリ、オープンしたカフェの経営状況は?
――カフェのオープンは2017年1月ですね。実際の経営状況はいかがでしょうか?
現在は都留文科大学に通う15人の学生と一緒に店を切り盛りしているのですが、スタッフは学生メイン、僕もまだ大学院生なので昼間の営業は難しく、開店は平日17時からとしています。正直、売上的には厳しいですし課題も多いです。店のある場所は人の往来がたくさんある訳ではないですし、都留市も高齢化が進んでいます。こうした地方で店を始めるときに壁にぶち当たるのは、客の母数なのかなと実感しました。ただ、お客様が来るのを待っているだけでは始まらないので、集客という課題をクリアすべくイベントは積極的に行っています。

――どのようなイベントを開いているのでしょう?
カフェは平日のみ営業で土日は貸切イベントという形で運営しているのですが、毎月1回、地域の方々にマルシェを開催してもらっているんです。ほかにも、カフェの運営メンバー発案で世界のビールを取り寄せたイベントや、実家がお茶農園という学生による緑茶講座、コーヒー研究会の学生が研究発表を行ったことも。この場を自分がやりたいことに活用してもらいたいですし、興味あるイベントがあればカフェ自体を知ってもらえますし、来店動機につながるかもしれません。高齢化が進み、次々と商店が潰れていっているのが都留市の現状です。富士山の手前にあるこの街に人を呼ぶ方法を企画し実行する。それが僕のできる恩返しであり、使命だと思っています。