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「信州ラーメンを全国ブランドに」。業界屈指のプレーヤー、塚田兼司の原点とは?

田舎の繁盛店も都会では無力。ブランド力ゼロから育てた味が、唯一無二の力に変わった

  • 塚田 兼司/信濃神麺 烈士洵名

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長野県内に「笑楽亭」「気むずかし家」などのヒット店を持ちながら、「信州ラーメンを全国区にしたい」と東京に進出してきた塚田兼司氏。今や都内にも数店舗を構え、業界屈指の実力派として知られるようになった氏だが、進出当初には、心が折れそうになる日々が続いたという。今回は東京進出の足がかりとなった「信濃神麺 烈士洵名」で、当時の苦労を振り返っていただいた。

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長野から東京へ進出!ラーメンは東京だけで回っているんじゃない!

ーーもともと長野県で店を持ち、順調に経営なさっていたそうですね。なぜ東京に進出したのでしょうか?
僕は前から、信州蕎麦に負けない、「信州ラーメン」のカルチャーを作りたいと思っていたんです。ただ、長野県内ではいくら頑張っても限界があるので、信州のラーメンを東京に持っていって、みんなが「長野に行ってラーメンを食べたい」っていう流れにできればいいんじゃないか、って思ったんです。実は長野にいる時から、日本のラーメン文化が、東京を中心に回っているのが気に入らなかったんですよ。「ラーメンは、東京だけで回っているんじゃねえぞ、このやろう」みたいな。田舎の劣等感ですね。
でも実際に東京に来てみて、信州ブランドの「ブランド力のゼロさ」に痺れましたね。奮起したのは、その「悔しさ」です。同じ思いを、孫の代、ひ孫の代にはさせたくない、絶対に東京のやつらには負けねえぞ、っていう強い気持ちをパワーの源にして、ここまでやってきました。その原点になったのが、この店ですね。

長野から東京へ進出!ラーメンは東京だけで回っているんじゃない!

ーーラーメンの個人店で、地方から東京に出たという例は、以前には少なかったと思います。参考にした事例などはあったのでしょうか?
個人店が首都圏に進出するっていう流れは、昔からあったんです。ただ、進出したけれど、消えていっているお店が多かったんですね。僕はきっちり全国のラーメンを認識したうえで、自分が一番作りたい、お客様に食べてもらいたいラーメンはこれだ、っていうものを作って勝負することにこだわったので、参考にした店というのは無いんですね。ただ、東京に来て、ブランド力がゼロだと分かったからこそ、「自分のブランドをどういう風に育てて、大きくしていくのか」というイメージを明確に持てて、それが今につながっているんだと思います。

人気ラーメン店、「烈士洵名」出店時の開業費用はいくら?

ーー開業場所の選び方、物件の探し方で、心がけたことを教えてください。
この店舗については、近くの不動産屋さんが僕の兄貴の友人だったので、その関係で紹介してもらいました。お店の場所にこだわりは無いんですが、「設備投資を少なく済ませる」ということだけは決めていましたね。人の流れが無くてもいいから、家賃を抑えて、食材には上等なものを使って、とにかく「美味しくて、いいものを出そう」という気持ちを忘れないようにして探しました。

ーー塚田さんが考える、開業前に一番注意すべき点は、どんなことでしょうか?
資金面ですね。信用がまったく無いところから事業を始めるわけですから。ある程度は、「信用されるための貯金」を持っておくことが大事だと思います。

ーー「烈士洵名」を出店した時の費用感について教えてください。
ここは飲食店の居抜き物件だったので、安かったですよ。全部合わせて500万円くらいです。ラーメン屋の居抜き物件だったら、もっと安く済むでしょうね。初めて店を出すなら、資本力のある会社が持っていて、撤退したような物件を狙うと探しやすいです。そこで大事なのは「なぜダメになったのか」を徹底研究すること。お客様は居たけど家賃が高かったのか、商品がよくなかったのか、自分の商品だったらここで勝てるのか、勝てないのか。そこで「勝てる」と思えなければダメですね。

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ーー開業後、営業をする中で苦労した点を教えてください。
ノーブランドのラーメンをぶら下げて首都圏に進出したことですね。甘く見ていました。この店も毎日が苦労の連続だったし、お台場のラーメンの集合施設では歴史的大敗を記録しましたから。真剣にラーメンを作っても、ノーブランドだとまったく見向きもされないんです。

ラーメン店の経営に、「美味しさ」「おもてなし」以上に必要なものとは?

ーー過当競争の業界の中で、店を維持することは大変だと思います。安定した経営のために心がけている点はありますか?
昔なら「チャーシューが厚い」とか、何かひとつ輝くものがあれば繁盛したのですが、今の時代は違います。「美味しさ」「安さ」「おもてなし」。そしてそこに、自分だけの「必殺技」。最低4つぐらいの強いものが必要です。
僕はこれからの時代、飲食店はどんどん減っていくと思っているんです。周りが撤退していく中で、自分たちが最後の1店舗になるまで愛されるには、どうすればいいのか。それが今、僕の中のテーマです。それを考えると、やっぱり「美味しさ」と「おもてなし」は絶対に必要で、その上で、遠くからも人を呼べる「個性」があれば強いでしょうね。

ーー塚田さんの今後の「夢」について、教えてください。
僕は、ラーメンは近い将来「地球食」になると思っているんです。その時には、日本が世界のラーメンをリードして、世界へ運んでいかなきゃいけない。それが日本人の仕事になっていると思うんです。その中に立って、仕事をしていければ幸せですね。

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ーー最後に、これからラーメン店を開業したいと考えている方に、メッセージをお願いします。
ラーメン屋は「簡単に儲かる」と思って参入する方がいますが、簡単には儲かりません。その中で、名前を残すようなラーメン屋さんを作るのなら、まずは店舗展開を考えずに業界に入り込むこと。で、商業的なラーメンをやりたい人は、そこから相当、頭を使って考えていくことです。昔とは競争率も変わってきているので、かなり腰を据えてかかったほうがいいと思います。

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塚田 兼司

塚田 兼司

1971年長野市生まれ。高校生当時に自宅近くの「つけ麺大王」でアルバイトを始め、ラーメンの仕事に出会う。同店はのちに「笑楽亭」と改名。20歳となった時に店主から店を移譲されラーメン店主に。その後「けん軒」「武士(もののふ)」「気むずかし家」など、長野県内に新ブランドのラーメン店を展開。2004年に東京進出1号店として「烈士洵名」を開店。その後「魚雷」「悪代官」「チラナイサクラ」などを都内に展開。個性的かつ完成度の高いラーメンを提供し続けている。有限会社BOND OF HEARTS代表。

信濃神麺 烈士洵名

信濃神麺 烈士洵名http://bond-of-hearts.jp/shop_resshi02.html
東京都文京区西片1-15-6

2004年開業。カマス干しを前面に押し出した淡麗系スープが店の看板。スープに信州地鶏や信州豚、メンマに信州産エリンギを使用するなど、信州産の食材を積極的に使う。麺は日本初の「大麦焙煎麺」のほか、信州小麦を使った細麺も選べる。焼肉定食やチャーハンなど食堂系のメニューも扱う。

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