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ヘアサロンのオーナーが心がけるべきは、スタッフが辞めない店づくり

ビジネスありきじゃない、人ありき。それに気が付いた時、初めて経営者1年生になれた

  • 樫本 勝巳/HAIR WORK OPUS

ヘアサロンのオーナーが心がけるべきは、スタッフが辞めない店づくり_記事画像

吉祥寺に美容室を3店舗展開するオーナーに、開業までの道のり、そして開業資金やスタッフについてお話をいただきました。自分のやりたいことを追求して気が付いたこととは?

大学を卒業後、美容業界へ。スタートが遅れたから逆にバネになった

ーー樫本さんが独立してヘアサロンを開業したのはいつだったのでしょうか?
1995年3月のことです。それまでは、青山の大手サロンに8年間勤務していました。実は大学卒業後、4年遅れで美容業界に入ったんです。進学の理由は、大学で経営を学ぶのも美容業界で働くために必要かなと思ったんです。今となっては役立ったのかわかりませんが(笑)。美容師としてスタートが遅れたのは仕方ありませんが、下っ端の僕は同じ年齢の技術者たちのアシスタントとして苦労したのが、逆にバネになりました。同じ年でも他は技術者としてどんどん出世しているので、焦りはなかったと言ったら嘘です。ただ、僕には30歳で独立して店を持つという明確な夢があったんです。

大学を卒業後、美容業界へ。スタートが遅れたから逆にバネになった

ーーなぜ、30歳と決めていたのですか。
サロンのオーナーとの出会いがとても大きかったんです。大学卒業後はサロンで働きながら美容学校の通信教育を受けたのですが、お金のない僕の身を案じたオーナーの計らいで、給料から天引きという約束で会社が学費を立て替えてくれたんです。師匠も大卒だったので、僕の状況を分かってくれていたのでしょう。オーナーがサロンを開業したのは27歳。卒業して数年しか経ってないのに、20代で自分の店を持った彼をとても尊敬していたし、「よし、僕は30歳で独立しよう!」と奮起させられたんです。

ーーオーナーの存在は樫本さんに大きな影響を与えたのですね。その後、ご自身の独立開業はどのように進めたのでしょうか。
サロンを開いた1995年はちょうど30歳になる年で、準備を始めたのは29歳。当時、僕は店長で担当するお客さんも月400人近くいました。時代はカリスマ美容師ブームで、仕事が楽しくて仕方なかったんですよね。ある日、「そういえば30で独立するんだった!」と我に返り、すぐにオーナーに伝えると、快く送り出してくれたんです。そこからですね、尻に火がついたのは。その後は本当に大変でした。

資金集めの中での大失敗・・・世間のことを何も知らなかった

ーーどんな部分に苦労されたのでしょうか。
一番は資金集めです。当時15、6坪の店を出そうと思ったら1千万円は必要。手持ちの資金がほとんどない状態だったので、銀行廻りをしたのですが、どこへ行っても門前払い。融資のためのノウハウが全くわかっていなかったんです。損益や収支といった言葉も知らなかったし、事業計画書もなんとなく書いたもので、数字の裏付けがなかった。そこから融資のための書類作りを学び、最終的には国民金融公庫と東京都から1千万円の融資を受けることができたんです。
ただ、その途中で大失敗をしてしまった。保証人になることを了解してくれた親戚に、捺印のための書類を送ったら「やっぱり俺は保証人にはならない」と言われたのです。僕のことを信用して、保証人になってくれたのに、僕は書類を一方的に送っただけ。顔を合わせて説明をしていなかった。それに気がつき、なんて無礼なことをしたんだろうと、急いで親戚の住む広島に向かいました。結果として許しを請うことができましたが、美容のことはわかっていても、世間のことは何も知らなかったと反省しました。

ーーここまでうかがうと、出店準備が終わったような気がしますが(笑)、お金が準備できたというだけの段階なんですよね。
資金作りと平行しながら、物件を押さえないといけないし、内装のための設計士さんや内装業者さんも押さないといけないんです。事前に支払いが必要な案件に関しては、手持ちの資金を崩しながらやるしかなかった。お金がなければ頭を下げ、僕の信用だけで動いてもらうしかできなかったんです。自己資金が潤沢にあればこんな苦労はしなかったんですけどね(笑)。融資が降りるまでの辛抱だとはいえ、すべてが綱渡りで胃が痛い日々を送っていました。ただ、これも30歳で店を出すという明確な夢があったから動けたようなものです。

多店舗展開が失敗。借金が膨らみうつ病に、そこから持ち直したきっかけとは?

ーー1995年に最初のお店を吉祥寺にオープンしてから21年。現在は3店舗を展開するなど順風満帆に見えますが、振り返るといかがですか?
大変だったのは店を出すまで。僕とスタッフの2人でスタートした店も1年後にはスタッフが5人になり、利益が出せるようになりました。開業から3年後、立地条件のよい物件を見つけ、引っ越しました。それが現在の本店です。それとは別に、2002年にもう1店舗を別のエリアに出したんです。当時は美容業界の景気もよく、売り上げもスタッフの数もさらに伸びていたので、勝負に出たんです。ただ、その店は3年やっても軌道にのらず、6年やってもダメだった。それと同時に借金も膨らんで……。
結果として、僕は不眠症になり、うつ病になってしまった。さらに追い討ちを掛けるようにリーマンショックが起き、美容業界も非常に厳しい状態に陥りました。店を畳んだ時、お店ありきじゃない、人ありきなんだと気づかされたんです。それまでは、経営者としての意識が低く、従業員のことを考えた会社づくりができていなかった。自分のやりたいことだけを追求するあまり、そのわがままにスタッフを付き合わせるだけでした。

ーーそこからどうやって持ち直したのですか?
まず着手したのはスタッフが働きやすい環境作りです。早番・遅番制にして、週40時間労働と週休2日制を導入。長期休暇は年3回取れるようにしました。それからはスタッフが辞めないお店になったんです。スタッフが頑張ればお客様も増えるし、会社全体のお客様も増えるから店舗を増やすことができる。スタッフを大切にすることは会社の成長にもつながります。経営を見直せたことが僕にとっての大きなターニングポイント。人を育て、従業員のために会社を経営する大切さに気がついた時、ようやく経営者1年生になれたと思います。

ーーこれから独立を目指す人へアドバイスをお願いします。
店を持ちたければ、今いる場所で自分のステージをひとつあげた意識で仕事をすること。例えば技術者は店長に、店長はオーナーになった気持ちでいると、今のポジションより先のやるべきことが見えてくる。自分には顧客がたくさんいるし独立すれば何とかなるでしょ、という気持ちでは、結局は技術者止まり。それにオーナーはスタッフを雇用して終わりではなく、人材育成もついてきます。ここに気が付かないとスタッフは育たないし、育てても辞めてします。店を持った当初、自分の世界観を実現できる喜び、楽しさがありました。美容師は髪を通じてその方の人生に寄り添えます。今はお客様やスタッフと深い関係性を築き上げられることが、この仕事の醍醐味だと思っています。

樫本 勝巳

樫本 勝巳

1965年生まれ。広島県出身。大学卒業後、青山の人気サロンに8年勤務した後、1995年に東京・吉祥寺に初の独立店であるヘアサロン「HAIR WORK OPUS」を開業。2011年にスタッフが全員女性で若年層をターゲットにした「OPUS AMICA(アミカ)」、2015年にはスタッフが全員男性でメンズをターゲットにした「OPUS CREER(クリエ)」をオープン。

HAIR WORK OPUS

HAIR WORK OPUShttp://www.opusnet.jp/
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-14-25 第二マーブルビル3F

HAIR WORK OPUS
「髪にやさしい 人にやさしい」。このコンセプトを徹底的に追求した結果、美容を楽しめる癒しのサロン「オーパス」が誕生。オーパスではただ髪を切るだけでなく、美しく、かわいくなれる場所であり、また心身ともに癒されるオアシスを目指している。

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