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誰からも見向きもされなかったプロレス団体DDTが業界オンリーワンになるまで
唯一無二の存在になれたのは、何者にも縛られない自由な発想があったから
- 高木 三四郎/DDTプロレスリング
高木社長をはじめ3人のレスラーによって旗揚げされたプロレス団体DDT。なぜ、プロレス団体を立ち上げるに至ったのか、そして、その難しさなど、ショービジネスの起業についてお聞きしました。
プロレス団体DDT創設の意外なきっかけ
ーー高木さんがプロレス団体を立ち上げたいきさつについて教えてください。
DDTは僕を含めたレスラー3人で1997年に立ち上げたのですが、自分がプロレス団体を始めるなんて想定外の出来事だったんですよね。それまではPWCという団体に所属していたのですが、ある日突然、団体が解散してしまったんです。お客様も入ってなかったし、経営的に厳しい状態にありましたから。それで我々所属選手は路頭に迷ってしまったんです。僕自身、プロレスは続けたいという気持ちがある一方で、業界に愛想が尽きていた部分もあった。もう手を引いた方がいいのかなと思っていたのですが、後輩から「このままでは終わりたくない、一緒にやりましょう!」という熱意に押されたのが大きな契機です。ただ中途半端な形で放り出された悔しさがなかったと言えば嘘になるし、プロレスが好きでしたからね。ーー立ち上げ当初は波乱含みだったんですね……。実際にプロレス団体を始めてみて、いかがでしたか?
当時は新日本プロレスや全日本プロレス、UWFといった規模の大きな団体が主流。大仁田厚選手のFMWもありましたが、大仁田さんは全日本出身ですしね。僕たちのような若手で師匠もよくわからず、有象無象のレスラーたちが立ち上げた団体は初めてじゃなかったかな。つまり大企業に居た訳でもないし、社会人として何か成し遂げた訳でもない連中です。だからDDTがスタートした当初、風向きは厳しいなんてもんじゃなかった。
外野からは「本当にできるのか」と懐疑的な見方をされていましたし、あるプロレス関係者からは「お前らの団体なんて潰してやる」と言われたこともあります。プロレス専門誌は黙殺するし、「お前らみたいなのが、なんでプロレスやってるんだよ、バーカ!」って、いたずら電話も多かった。インディーはメジャーより圧倒的に格下に見られていた時代ですし、まあ色々な意味でプロレス業界は熱かったですね(笑)。悔しいと思うよりも、あまりにもマンガみたいな世界に驚いてしまった。だったらDDTを認めようとしなかった人たちを絶対に見返してやろうという気持ちが強くなっていったんです。DDTプロレスの醍醐味「エンタメ」発想はどこから生まれたのか?
ーー今となっては考えられない周囲の反応ですが、その逆風をどのようにして乗り越えたのでしょうか?
最初は試合内容で分かってもらうしかないと考えていましたが、メジャーの選手に比べて我々は体格的に劣っていたし、団体の特徴付けが難しかった。時代は新日本のストロングスタイルであり、全日本の王道スタイル。各団体ともスポーツライクな激しいプロレスを展開して人気を集めていました。そんな中で空き家だったのが、エンターテイメントとしてのプロレス。先駆けはアメリカのWWF(現WWE)で、悪の団体オーナーと選手の抗争という軸がありつつ、試合をしっかり見せていたのが凄く斬新で面白かった。これにヒントを得て、DDTもストーリーラインを打ち出し、エンタメ路線を取り入れるようになりました。それと同時にコギャルが試合を観に来るようになったんですよ。ーープロレス会場にコギャル!?意外な組み合わせですね(笑)。
当時、DDTは渋谷のクラブで試合をやることもあって、コギャルに声を掛けたら観に来てくれるようになったんですよ。その現象を面白がってくれたテレビや雑誌が「コギャルがハマるプロレス団体がある」と話題にしてくれて、ようやく専門誌も後追いで取り上げてくれるようになったんです。してやったり、という気持ちはありましたね。世間的な認知度も高まり、そこからは動員も増え、収益も安定するようになりました。ちなみに、うちでは古くはミクシィだったり、Youtubeやツイッターだったりなどのネット活用が他の団体よりも早かったんですが、これも専門誌が扱ってくれないのなら、自分たちで情報発信すればイイやと思ったからです。ーー高木さんのお話をうかがっていると、マイナスをプラスに転じさせる発想力が大切だなと思いますね。
これは僕なりの経営哲学なのですが、「ナンバーワンよりオンリーワンでありたい」というのがあるんです。マーケットが大きくなってくると、同業他社もたくさん出てくるし、その中での差別化は非常に重要です。DDTは団体としての特色をエンタメ路線に定着できたことが強みになった。プロレスはショービジネスだと思っているし、エンターテイメントは欠かせない要素です。かつて日本のプロレス業界には笑いやエンタメは不要という考えがありましたが、敢えてそこに目を付けたからこそ独自性を出すことができた。DDTは大手がやらないことをやる。小所帯の鉄則
ーー高木さんのようにショービジネスの世界で起業したいと考えている方にアドバイスをお願いします。
「他と違うことをやりなさい」、この一言に尽きますね。DDTの場合、小所帯だからこそ、大手と同じことをやっても勝てないのはわかっていたし、乗り切るための企画力は必要不可欠。基本的にDDTは大手がやらないことをやっていますが、その最たる例が路上プロレスや(空気人形の)ヨシヒコです。もちろん試合は試合でしっかりやっていますが、一方でこのような団体の個性に魅了されたというお客様もいるでしょうね。
僕は学生時代、イベントサークルに所属していて、数千人規模のイベントを手掛けていました。この経験から人を集める大変さやテクニックはどういうものかわかっていたんです。そもそもお金を払って来てくれるお客様は現場に“面白くて魅力あるモノ”があるのをわかっているし、期待しているから。プロレスも同じで人が集まるってそういうことなんです。■ 関連記事
>> 多角経営に乗り出したプロレス団体DDT高木 三四郎
1970年生まれ、大阪府出身。プロレス団体DDTプロレスリング(以下DDT)の選手兼社長。大学卒業後、24歳でプロレスデビュー。その後、いくつかの団体を経て1997年にDDTを設立。アイデアマンとして知られ、その頭脳で業界トップクラスの団体に成長させた。その経営手腕を買われ、2015年5月から武藤敬司率いるWRESTLE-1のCEOに就任し、業界初の“2団体経営者”として話題を集めている。
DDTプロレスリングhttp://www.ddtpro.com/
1997年にプロレス団体DDTを設立後、2007年にバー「ドロップキック」をスタート。スタッフは現役選手なので、ファンとの交流の場としても人気を集めるように。その後ドロップキックと同じビル内に居酒屋「エビスコ酒場」をオープン。こちらも選手がスタッフとして働いている。この他にバー「スワンダイブ」、ストレッチ専門店「ベストストレッチ」、「新宿ぎょえん整骨院」など多角経営を展開中。
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