2011年に工房兼ショップとしてオープンした「wagashi asobi」。販売する和菓子は「ドライフルーツの羊羹」と「ハーブのらくがん」の2種類だけ。なぜ、2種類のみなのか、そしてお店開業に至った経緯などをインタビュー。
和菓子は美しいものだし、カッコいい!海外勤務でその素晴らしさに気が付いた
ーー「wagashi asobi」を始める前は老舗和菓子屋で職人として働いていたそうですが、独立を意識したのはどんなきっかけからでしょう。
稲葉 独立願望はありました。好きなことだけやって生きていけたら、という想いをずっと抱いていたんです。「じゃあそれは何か」と考えた時、好きな和菓子だけを作っていこうと思いました。小売り、ネット販売、受託生産、それに勤め続けるというのも選択肢にあったわけですが、やっぱり自分が作った和菓子を喜んで食べてもらえるお客様の姿を見たいんですよね。和菓子は美しいものだし、カッコいい。その素晴らしさに気が付いたのは海外勤務のときでした。例えば梅の形をした最中を売っていると、なぜ梅なのか現地のお客様に聞かれるんです。俳句に読まれることもある梅は日本人にとって春を伝える重要なアイコンなんですよね。そういったことを説明するために調べていたら和菓子の面白さにハマり、和菓子というジャンルに伸びしろを感じるようになったんです。

ーー和菓子の可能性に賭けてみようと思われたのですね。独立して店を構えたのは駅前とはいえ、とりたてて大きな繁華街などはありません。なぜ、この地に出店を?
稲葉 出店した大田区上池台は僕の生まれ育った場所でもあるのですが、自分たちの和菓子がこの町と関わりを持てたら、という気持ちもあったんです。というのも、地元で手土産を買おうにも名物がないので、みんな二子玉川や銀座、渋谷までわざわざ足を延ばすことが多いんですよ。だから自分の作る和菓子がこの街の名物になって、「大田区にwagashi asobiという店があるんだよ」って言ってもらって、少しでも地元の方達の気持ちが豊かになれるお手伝いができれば嬉しいなと。自信作の和菓子を持ち寄って、この町でやっていくことに意味を見出したんです。
商業視点ではないやり方で和菓子を売りたい。和菓子が担う役割とは?
ーー自信作の和菓子、つまり「ドライフルーツの羊羹」と「ハーブのらくがん」ですね。お店にはこの2品しか置いていないのはなぜですか。
浅野 地元の銘菓を育てたい、というところから、あえて2品に絞って販売することにしました。そのためにブラッシュアップしながら、さらなる美味しさを追求しています。例えば、市場が求めている商品のみを作ったり、それによってキャッシュを求めるのは商業視点であり、和菓子でなくてもできるやり方だと思うんです。本来、和菓子は人に感謝やメッセージを伝えるためのツール。だから和菓子でやるべきことは人を喜ばすことであって欲しいのです。

ーー確かに、ありがとうの気持ちを伝えるために和菓子を渡すことはよくあることです。
稲葉 塾に通いがてらうちの店を興味深く覗く小学生がいて、仲良くなったんです。それで欠けて売り物にならなくなった落雁をあげたら、「お菓子ちょうだい!」って度々遊びにくるようになって(笑)。その中のひとりがふらっと来て「いつも落雁をもらっているから今日は買うよ」って言うんですよ。子どもが何をしゃらくさいことを言ってんだって思ったら、「母の日だからお母さんに食べさせたい」って筆箱からお金を出したんです。
浅野 彼の気持ちは心から嬉しいですし、こうした機会をもっと増やしていけたらいいなと思います。

ご飯を作ってきてくれるお客様も!?地域に根差した和菓子店であり続けたい
ーー泣ける話ですね(笑)。お店を媒介として地域と密なコミュニケーションがあるっていいですね。
浅野 お店が忙しいとき、ご飯を作ってきてくれるお客様もいるんですよ。帰ってから夕飯を作るのは大変でしょって(笑)。お客様と気軽にやり取りができることは、私たちの目指したいところでもあるし、モノを売り買いするというより友達が増えているような感覚があって、本当にありがたいと思います。
稲葉 独立前は工場の中で和菓子を作っていてお客様と触れ合う機会はなかったから、今こうしてリアルにコミュニケーションが取れることが嬉しいですね。
浅野 ガイドブックでうちの店を知ってくれたフランス人パイロットは仕事で来日する度に遊びにきてくれますし、四国から娘さんと一緒に訪ねて来てくれた男性もいらっしゃいました。雑誌でうちの店を知ったそうなのですが、実はこの男性、ガンで入院されていて「治ったらうちの店に行こう」と娘さんと約束していたそうなんです。そうした話を聞くたびに感謝の気持ちで一杯になりますし、お客様から喜びを与えてもらっているなとしみじみ思いますね。
